主権者・国民が憲法改正案の策定に関わるべし──9条改正案が勝手に決められてしまう前に(2026.05.10)
高市早苗首相は、「9条改正案の策定と国会発議を来春までにやりたい」といった発言を繰り返しています。
憲法96条の規定により、議員は衆参各院で3分の2以上の多数派を形成すればそれをなすことができます。
一方、私たち国民は 主権者なのに、憲法そのものについても「原発」「同性婚」「選択的夫婦別姓」といった憲法以外の案件についても発案権や拒否権がありません。これは、この国の制度の瑕疵です。議員による「国会発議」のみを認めるのではなく主権者である「国民の発議権」を認める旨96条に盛り込むべきです。
「現行96条の規定に則ってやれば何の問題もなし」ではなく、本来は国会で改正案を審議したり発議したりする前に、主権者である国民が議論を重ねた上で改正案を策定し立法府にとりまとめた案を提言する。そして立法府はそれを受け、熟議をもって憲法改正案を策定し国会発議を行うべきだ──と私は考えています。
そうした仕組み、プロセスはいくつかの国で採用されています。
例えばアイルランドでは「婚姻の平等化(同性婚)」の是非をめぐる憲法改正の国民投票(2015.05.22)を行う前に、くじ引きで選ばれた66人の市民、33人の国会議員らで構成される「憲法会議」において「9回の週末会議」が行われ、熟議がなされました(その結論・提言をもとに国会は審議を行う)。⇔アイルランド:「婚姻の平等(同性婚)」に関する国民投票における〈憲法会議〉の存在と役割
こうしたアイルランドにおける事例を見てもわかるように、日本において衆参の国会で「改正案」を審議⇒国会発議する前に「市民の熟議による意見」を受け取り、これを最大限尊重して審議⇒国会発議を行うべし──という主張は決して非常識な考えではありません。
日本の憲法9条の改正については、96条に則った手続きでの法的拘束力を有した国民投票を実施する前に、上記のようなプロセスを経ての「市民の意見」を参考にした9条改正案(複数)のどれを選択するかの諮問型国民投票を行うべきだと考えます。
その際、自民党改憲案(2012年版)のような[自衛のための戦力(国防軍)保持、自衛のための交戦を認める9条改正案]と丸山眞男、辻清明らが結成した公法研究会が作ったような[自衛のためであっても戦力保持、交戦を認めない9条改正案]の両方を国民投票の選択肢に盛り込むべきだと私は考えます。
その理由は、この論考の一つ前に掲載している憲法9条の「解釈改憲」に終止符を(2026.04.05)に示しているのでそれを読んでいただきたい。
憲法9条の「解釈改憲」に終止符を(2026.04.05)
[改憲案の国会発議→国民投票での主権者の承認]という手続きを踏んでの明文改憲ではなく、条文は改めず国民投票も行わずに国会議員が勝手にやっている解釈改憲。
戦力保持、交戦権を認めない憲法9条の本旨と実態とが大きく乖離し、それが常態化している。(イラン・米国の戦闘の影響で、本旨と実態との乖離は今後さらに拡大するかも)
そうした解釈改憲は、主権者・国民の憲法制定権を犯し立憲主義を壊すものであり、個々人がどのような「戦争観/非戦観」を持っていようが断じて許してはならない。
私は「解釈改憲を許すな!」というコールやプラカードを、デモ・集会の場で一度も見聞きしたことがない。
今、国会議事堂前をはじめ各地で「戦争反対」「9条まもれ」「憲法変えるな」…と訴える人々は、条文さえ護持できればOKで、(戦力保持、交戦権を認める)解釈改憲は容認なのか?
自衛戦争は認めるのか? あるいは明確な自衛であっても戦争反対なのか?
「それは訊いてはいけない、分断を生むから」というのがお決まりの反応だがその考えは間違っている。
明らかな自衛なら戦争するのか、自衛であっても戦争はしないのか… その最も重要な問題を、主権者である私たちは考え議論し、意思を示さなければならない。
こんな大事なことを、高市早苗氏をはじめ国会議員や政党の好き勝手にさせてはならない。
